ほしぞら

福永眞由美 公式ブログ

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こころの散歩道 ( すばるを指して)


私 ブログを
「ほしぞら」って 名前にしたのは

ほしぞらが 好きだから・・・
 

二人の子が
まだ 中学生だった頃


一緒に見上げた 星空が
忘れられないの


今日は
その時 詠んだ歌を・・・

           


         
           
         きみへ




         
        洗ひしごとく晴れわたる今宵
      子ろ共に星空を仰ぐ
      
このいく日 うち沈みつつ いっしんに もの書くわれを 星見
むと いざなひし子ろ 夜の更けの 公園に立ち カシオペア
あれが昴と 子ろの指す 清きみ空に 流れ星 いくつか流る
大宇宙 銀河のなかの いとほしく浮かべる星に たまきはる
いのちをわけし 思春期の 子ろのふたりよ 清く育てよ
  


     反歌

夢もちて生きよと育て来し子ろが吾をなぐさむる昴を指して   


                          ( 福永眞由美歌集「ちちははの歌」より)           



           




         白むくげ


          



             第九十九回歌道講座秀歌    



(天)
いつ帰るいつ帰るかとひたすらに吾を待ちたまふははそはの母は
                               宮川貢士朗 


(地)
車椅子よぎる鳥あり父に問はばもつれる舌で白セキレイと
                               岩立 実勇


(人)  
面影のおさなびて見ゆ吾子が夢目覚めてはるかドイツを偲びぬ
                               久留島理美


(人)
常々に弱音吐かずと気張れども己の弱さ日ごと身に沁む
                               玉掘 敏彦


      




  
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エッセイ |

こころの散歩道( 夢いだく少女にありき )




「このたびは 
靖国神社への献詠歌
入選おめでたうございます」




祝花5



六月二十九日の
靖国神社御創立記念日祭を前に
大東会館に届いた 大きな花束。

高橋宏篤さん 
高橋義周さん
玉堀敏彦さん
三人の 歌を学ぶ
若き道友からでした。

まあ… 有り難う!





今年の兼題は 「夢」。

披講式には
吾が子 二人が
付き添ってくれて

とても
幸せでした。






                 

          ライムライト2




                        「夢」


   夢いだく少女にありき空襲のあとまだ残る東京のまちに



















            夢抱く少女1






                 ひなの祭り
     
     渋谷の東急デパートがまだ東横百貨店という名前だった頃のこと。
     その東横百貨店で父が生まれて初めての、段飾りのおひな様を買ってくれた。
     それまでの私のおひな様は、私がものごころつく前に父が買ってくれた、円い板に
     絵の具で立ちびなが描かれたものだった。
     幼かった私はひな祭りが近づくと、せっせと折り紙や卵の殻でおひな様を作って板
     びなの周りを飾った。
     段飾りのおひな様は、幼い日の私の夢であり憧れだった。
     あまりに不憫に思ったのだろうか、ある日父が「おひな様を買いに行くぞ」と言い、
     東横百貨店に出かけて行った。
     父と母と弟三人。一番下の弟はまだ赤ん坊で母の背におぶわれ、兄はいなかった
     が、ほとんど一家総出で出かけて行ったのである。
     デパートの中は私にとって、目がくらむような世界だった。
     ひな人形の売り場にはその時代であっても、豪華な金屏風と緋毛氈の何段もの段
     飾りのひな人形が沢山飾られていて、場慣れのしない私は圧倒されて、父と母の後
     におずおずと隠れるようにして歩いていた。
     父が買ってくれたのは、こけしの段飾りのひな人形だった。
     こけしのひな人形は売り場の隅の方にあって、一番価格の安いものだったが、それ
     でも三段飾りと二段飾りの二種類あって、父は「どちらにするか?」と私にたずねた。
     私は黙って、価格の安い二段飾りの方を指さした。
     ほんとうは、三段飾りの方が欲しかったのだ。
     父が買ってくれたのは、三段飾りの方だった。
     一番上の段に屏風とこけしの内裏びな、二段目と三段目にぼんぼりと菱餅などの木
     で作った飾りもののついた、全体でほんの十五センチ四方くらいの、小さなささやか
     な段飾りのおひな様だった。
     今の時代の価格にすれば、せいぜい三千円もすれば買えるものではないだろうか。
     そんな安物の小さなおひな様を買うのに、父と母と幼い弟たち三人と一家総出でデ
     パートへ出かけて行ったのである。
     あの頃、東横百貨店の屋上には時計台があり、美しい音色のチャイムが時を告げて
     いた。
     あの日の帰り道の父と母の記憶は定かでない。
     私の心に残っているのは、私とは無縁の目がくらむような豪華な品々が並ぶデパート
     の売り場から逃れて、ほっとして、父が買ってくれた小さな小さなこけしのひな人形の
     包みを抱えて歩いていた私と、夕焼け空と、まだ焼け野原がところどころに残る渋谷
     の街に鳴り響いていた、東横百貨店の時計台のチャイムの音である。
     あの日父が買ってくれたこけしのひな人形は、今母のところにあり、板びなは私の手
     元にある。
     ひなの節句が近づくと、母と私はそれぞれに今は父の形見となったひな人形を飾り、
     会えばかならず東横百貨店に一家総出でこけしのひな人形を買いに行った、あの日
     の思い出話になる。
     「お父様は立派だった。どんなに貧しくても、つぎのあたったものを着ていても、いつも
     胸を張って毅然としていらしたはわ」
     父の話をするとき、八十三歳の母の目は乙女のようになる。
     「あんなに素晴らしい人とこの世で会えて、長い間夫婦として暮らしていただいて、私
     は幸せだった。ほんとうに幸せだった」
     いくつかの世の辛酸を経て、私もすっかり大人になった。
     けれど生きているありさまは、遠い昔の幼かった頃とあまり変わっていないような気が
     する。
     今でも私は華やかな場所は気後れがして、本当はあまり好きでない。
     そして、幼い日に段飾りの美しいひな人形に憧れながら、せっせと折り紙や卵の殻で
     おひな様を作っていたように、未だに美しいものに憧れ、小さな貧しい部屋でせっせと
     童話や詩を書いている。
     変わったのは、貧しさをかなしく思っていた幼い頃と違い、あの頃の貧しさがあったか
     らこそ、魂の底から美しいものへの切なる願いを持つ今の私があると思える、心の強
     さを持つ自分になれたことである。そして、黙って生きる姿でそういう心映えを育ててく
     れた両親に、心から感謝をしている。
     いつだったか「あなたは、野の花のような人だ」と言ってくれた人がいた。
     「踏まれても、踏まれても、いつの間にかすっくりと立ち直って、また咲いている」
     うれしい言葉だった。
     それはきっと、そうあって欲しいと、父が私に一番望んでいらしたに違いないと思う
     から・・・・
     父の歌集に次のような歌がある。
     一家を挙げ都下青梅市の果てに村造りのために入植。
     開墾作業の折の歌である。

         うちおろす鍬の刃先に砕け散るからくれなゐの野つつじの花

         墾原(はりはら)に夕べ疲れてなごみつつつつじの花を折りて帰るも

         野の花とイエスが言ひし野の花のその美しさあらためて見つ 
                                 


                                 (「白鳩」 平成十二年三月号掲載)








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