ほしぞら

福永眞由美 公式ブログ

こころの散歩道(魂ひかる)





大東会館歌道講座に今年の一月から入門
一年間を学んで来られた若き友から
おたよりに添へて 歌をお贈りいただきました


光 キャンドル1
  
そのおたよりも その歌も わが魂に
ふかく ふかく 沁み入りました



光 キャンドル2



忙しい仕事を やりくりして
ひたすらの思ひで 通って来られ
真剣に学ぶ 若い人たちの姿は
疲れた私のこころを いつも
幸せに みづみづしくして下さいます



光 キャンドル3

   

( 戴いたおたよりの最後の部分をご本人の御了解をいただいて )
    
  この一年、僅か未だ一年ですが、先生が常に言ってをられた「素直な心で詠みなさい」
  といふ御言葉の意味をずっと考へて参りました。
  始めは歌を習ふからにはいつか即吟が出来る程にはなりたいといふ考へを持ってをり、
  其れには何処かにさらりと詠めるやうになりたいといふ気持ちが有ったのだと思ひ
  ます。
  しかし先生は教へて下さいました。「簡単に詠んではいけません」「この一首が最後
  の一首かも知れぬと思ひなさい」と。
  そして何より、今年最後の歌道講座で「影山塾長に於かれても、何度も何度も詠み返し
  半年も一年もかけて詠んだ歌が有るのです」といふお話を伺ひ、自分の浅はかさを恥じ
  ると同時に目の覚めるやうな気がしました。
  歌を通じて己の中を深く深く覗き込み、そこから見える「私」を乗り越えてゆく事こそ
  歌を詠む本質であり、其れこそが 素直な心で詠む歌なのだと教へて戴いたのだと思ひ
  ました。
  歌の学びは生き方の学びそのものでありました。
  未熟ゆゑこれからも先生の御指導を仰がねばなりません。先生の御元気な御姿は、吾等
  門下生の喜びであります。来年一年もまた厳しく御指導下さい。
  最後になりますが、この一年で教へて戴いた全てを一首に込め、感謝の言葉と代へさせ
  て戴きます。

     
       師の放つたましひ吾を導きて果て無き道を照らし給へり
      

     平成二十五年十二月  富士輝く快晴の朝            高橋 義周






光 ベル



      
               唱        
師の放つたましひ吾を導きて果て無き道を照らしたまへり
                                            義周



               和
魂ひかるきみらと歩む道の果てちちのみの父は待つと思ふに
                                            眞由美










エッセイ |

こころの散歩道(光を恋ひて)







台湾の許文龍先生が日本の秋の叙勲で旭日中綬章を受勲され
十二月三日 台北の交流協会にて授勲儀式が行はれました。




          教子さん 花束
   


              この日 三宅教子さんを通じて
          不二歌道会よりの祝賀のお手紙と
          花束をお贈りさせていただきました。



許先生1

台湾の至宝であられます先生が 益々光かがやかれ


 許先生2

御壮健にあられますことを
心より お祈りいたします



許先生3


当日 黄敏慧さんが撮ってくださったお写真です。
教子さんのこぼれるやうな笑顔に 嬉しさと共に
三十六年前戒厳令下の台湾に渡って行かれてからの
教子さんの日々を思ひ 万感胸に迫ったことでありました。

         






       三宅教子歌集「光を恋ひて」に寄す
                    (「不二」平成二十四年六月号掲載)


三宅教子さんがこのたび歌集「光を恋ひて」を上梓されました。
「今年こそ、今までの歌をまとめて一冊の歌集にしたいと考へてをります。蔡先生が(序文)を書い
てくださるとおっしゃるので、題字を眞由美様にお願ひできないものかと願ってをります」と教子さん
からのメールが入ったのは、今年の一月一日のことでした。
自信が無かったのですが、それよりもはるかに教子さんが歌集を出されることの嬉しさが大きく、
お引き受けしたのでした。
この折、万感のおもひに「台湾の三宅教子さんより第一歌集(光を恋ひて)の題字揮毫のご依頼あ
り。わが半生のおほかたのかなしみよろこびを共にし来る人なれば、つつしみ受けむと思ひて」の
詞書で連作を詠み、それを教子さんにお贈りいたしました。
教子さんはその私の歌の連作を(あとがき)に掲載して下さったのですが、上梓された歌集(光を
恋ひて)を拝見しながら、遠い乙女の日、父と共に初めて都羅の山を訪れ、お下げ髪の高校生で
あった教子さんとお会ひしてから、実に半世紀の日々を変はらぬ友情で励まし合ひ、ふしぎなみはか
らひにより、日本と台湾に離れ住みながら同じ歌の道に生かされて来たことをしみじみと思ったの
でした。
三宅教子さんは、故三宅萬造さんのご長女として、昭和二十一年四月十五日に岡山県倉敷市に生まれました。父君萬造さんは昭和二十年八月二十五日自決された大東塾十四烈士のご分骨を託されたお一人であられ、ふるさと倉敷の都羅山上に、全国に先がけて十四烈士碑を建立、守護して来られました。
教子さんは昭和四十四年台湾から岡山大学に留学してをられた黄仁宏氏と結婚。昭和五十二年夫君と四人のお子さんと共に台湾へ。台湾に移り住まれてからの教子さんは、昭和五十四年、岡山の服部忠志主宰の短歌結社「龍」に入会。歌の研鑽を積まれる一方、短波放送「自由中国の声」のアナウンサーとしても活躍して来られました。
現在は「台湾歌壇」事務局長として、代表の蔡焜燦氏を支へ、台湾に於ける短歌の灯を懸命に守り続けてをられます。
歌集「光を恋ひて」は、昭和五十二年から平成二十四年まで、昭和五十三年のみを除いて、その年毎に詠まれた歌が年代順にまとめられてゐます。


昭和五十二年のお歌より。

     台湾へ
 
  背の君と共に死ぬべき覚悟もてと言ひたまひたるちちのみの父

  笑顔をば忘れず夫に尽くせよと歌を寄せたりたらちねの母

     母入院の知らせ

  翼あらば飛びてゆきたしこの夜を母の枕辺に添ひてをりたし

  母の漬けし梅干食めばほろほろと涙こみあげふるさと思ほゆ

昭和五十二年、教子さんは夫君と四人のお子さんたちと共にふるさと岡山から台湾に向って発ってゆかれました。教子さんは戒厳令下の台湾へ渡り生活することを躊躇してをられたさうです。お父様の萬造さんが心配して、ある時父に話されたところ、父は言ったさうです。
「萬造君、あの子ならきっとやるよ。心配ない」
父のこのひと言で、教子さんは台湾へ渡ることを決意されたのだと、萬造さんからお聴きしたことがあります。
この折のことを詠まれた父君萬造さんと、母君とよ子さんのお歌が「三宅萬造歌集」に」あります。

 萬造さんのお歌より。

    七月十四日快晴平穏。黄仁宏一家六人帰台の日、
    岡山駅頭に見送る。仁宏・教子・眞芳・純芳・涓芳
     龍 一と手を振りて別る

  娘も孫も海路はるけく帰りゆくわかれを惜しみ駅頭にた立つ

  眞芳・純芳もの心つき寂しらにわが手を握り言葉少なし

  「おぢいちゃん」と涓芳の片言身にしみてみつめゐにけり孫の姿を

  龍一はつぶらの瞳かがやかせ我に見入りてほほ笑みにけり

  日台のかけ橋たれと祈るなり潮路遥かに帰りゆく子に

 
 とよ子さんのお歌より。

    夫に従ひ遠く台湾に発つといふ長女教子を思ひ、
    可愛い孫達を思ひ眠れぬままに

  雨の音聞きつつ思ふ吾子の旅時計の針は二時をさしをり

  三十余りよはひ重ねて吾子は今背の君の国に旅立たむとす

  海を越え行かむとするかわが宝ただひたすらに健やかにあれ

  いつの日も心優しき娘なりせば旅発つ後の父母を気遣ふ

 
 教子さん昭和五十四年のお歌より。

     影山正治先生、元号法制化を祈り
     五月二十五日未明に自決めさる

  かなしくも雄雄しき命貫きて祈り留めて逝きし師の君

  台北は暗く雨降る祖国にも雷雨荒れつつ雹の降るとふ

  ちちははを恋ふるがごとく慕ひける師の君まさずとその子らの泣く


昭和五十四年七月二十九日。父が自決して二ヶ月ほど経った夏の日のことでした。
「眞由美さん、赤ちゃんを抱いた女の人が庭に立ってゐるわ」
母が言ふので窓から覗いてみると、まだ赤ちゃんだった龍一君を抱いた教子さんでした。父の自決のことを知り、矢も楯もたまらず、龍一君を抱いて台湾から、初めての青梅の大東農場を訪ねて来られたのでした。
その晩、父の書斎に布団を敷き、一晩中、教子さんと語り合ひました。父のために泣いて下さったあの日の教子さんの姿と、私たちのかたはらでぐっすり眠ってゐた龍一君の姿、そして大東農場の神饌田で降るほどに鳴いてゐたかはづの声は、三十余年経た今もわが脳裏に鮮明によみがへります。
思へばこの昭和五十四年、教子さんは短歌結社「龍」ならびに「台湾歌壇」に入会。私は父の自決の日より、生涯を歌の道に生きてゆかうと心に誓ひ、奇しくも台湾と日本とに別れ住んだふたりが、同時に歌学びの道を歩み始めたのでした。
動乱の異国にあって、教子さんはとまどひを、かなしみを、苦難を歌にこめます。


  君と子ら日本の人となることを密かに願ひし過ぎし日のわれ

  浮き草のごとき思ひをふり切れず吾が夫の国に移り住めども

  わが胸を打ちてしめらふ春の雨せつなきほどに桜を見たし

  両の羽根傷つき飛べぬ鳥に似てわれは枯野にうづくまりをり

  音のなく枯野に雪の降りしきり真白く埋めよわがさみしさを

  自己主張なさむとすれば胃のあたりきりきり痛む不甲斐なけれど

  戒厳令下戸口調査に来たる人の意外にやさしく笑みて話せり

 
 昭和六十一年十二月十七日、母君とよ子さん逝去。

  まさかとも思ひしものを悲しみの電話オフィスにかかりてぞくる

  涙のみ放送番組最後まで録音終へたり今は泣かじと

  現し身の母に会ふことこれよりは叶はじ柩に釘を打ちゆく

  母の御骨箱ひしと抱きて七曲り九曲り山を下りゆきたり

  朝あけに桜さやぎて夕やけに花吹雪すらむ母のみ墓に


 平成八年六月十二日、父君萬造氏逝去。

  師の君の自決なされし二十五日を父は密かに望みゐるらし(五月二十五日)

  午前四時時計を見上げて「ああ今頃}と父は師の君を偲びゐるらし

  台北に戻り来りて数日をうつつともなくただ眠たかり

  小康に向かひてありと思ひしに父の危急を電話に告げ来る

  心より父の慕へる師の君の誕生の日に父は逝きたり(六月十二日)

  十年経て母を焼きたる火葬場に父を焼く煙は天に昇りぬ

  母に会はむ父に会はむと十九年海越え来しも過去となりたり


 父君、母君を失ひ、台湾に生きゆく教子さんは尚かなしみを歌にこめて。


  二十年この地に住めど旅人のごとくにわれはこの道をゆく

  ふるさとに吾を待つ父母はいまさねどさくら咲くころ帰りたしと思ふ

  ちちははのこの世にはなきふるさとへ帰りゆくのはさみしかりけり

  ふるさとの杳くなりゆく寂しさをいつしかわれの知る歳となる


 平成十二年歌会始お題「時」にて佳作入選

     詠進歌「時」

  楽しかる集ひの時は疾く過ぎてなべては夢のごときたそがれ


 この頃より現在「台湾歌壇」代表の蔡焜燦氏ご夫妻と魂ふかく結ばれてゆかれる教子さんは、父君萬造さんが祈られた「日台のかけ橋」として、台湾の地に強く根を張ってゆかれます。


  「台湾よ日本よ永遠なれ」とサインある蔡氏の御著書読みつつ泣かゆ

  失望の日日に賜りたる御著書胸張り生きてゆけと教はる

  台湾を好きになりたし好きにならむこの地に骨を埋むるわれは

  ゆっくりと運移りゆく時を待ついづれは過去とならむ苦しみ

  新しき年に祈るは子等のことその子等の住むフオルモサ台湾

  山ほどに願ひて針ほど叶ふとふ然らば祈らむ大空ほどにも


 東日本大震災を詠まれしお歌より。


  台湾の熱き心を伝へたき老いも若きも日本を励ます

  国難の祖国を遥かに祈るなり復興の日を堅く信じて

  力なき吾にしあれどこれよりは弱音を吐かぬと己に誓ふ


 教子さんの歌集上梓予定のメールをいただきました時、嬉しさのあまり、題字の揮毫と共に、『不二」に歌集の紹介文を書かせて戴くとお約束してしまひました。いざ書かうとすると、この一冊にこめられた、教子さんとの半世紀にわたるよろこび、かなしみの日々、そして、お互ひの絶望の日々も共有して励まし合ってきたことがわが胸を巡り、とても歌集の紹介文では収まりきれぬ文になってしまひました。
三宅萬造歌集「草かげの祈り」三宅トヨ子遺詠・遺稿集「おもかげ」「三宅萬造全歌集」そして、私の歌集「ちちははの歌」「冬椿」を机に置いて、教子さんの「光を恋ひて」にこめられた思ひと祈りを探しては書き進めたのですが、萬造さん、トヨ子さん、教子さん、そして三宅一族の皆さんとの、長い長い年月にいただきました、ふかくあたたかい御交誼に幾度も涙を流しました。
父と共に、そして母と共に、わが子らと共に、又、私一人で、幾度都羅の山を訪れたことでせう。台湾に渡られた後教子さんは私が訪れるその度に日本へ帰られ、三宅一族と共に私を迎へて下さいました。
その度に私は歌を詠み歌集にも収めてをりましたが、「光を恋ひて」を拝見して、教子さんもその都度ひそかに美しい歌を詠んで下さってゐたことを知ったのでした。
「波のまにまに浮き沈みしながら、たづたづしく生きてきた自分の、今まで歩いてきた細道に、些かの和歌が残りました。私の唯一の宝です。皆様に励まされて歌の道を歩めますことを、心より幸せに感じてをります」
教子さんの言葉はそのままわが思ひと重なります。
まことに、かなしみの日々、苦難の日々、絶望の淵に沈みさうな日々でさへ、すがりつく様に歌を詠んできたことは、教子さんと私の祈りでありました。今、歌の道を歩んできてよかった、幸せであったと心から思ひます。
「光を恋ひて」を第一歌集として、教子さんにはこれからはもう少しご自身を労はられ、人生の夕映えの日々をしづかに更に歌に詠まれ、第二・第三歌集の上梓あらむことを祈ります。


  平成二十二年のお歌

 人の世の嘆きこの身に重くとも歩み続けむ光を恋ひて


  平成二十四年のお歌

 暗闇の向かふに光はあるといふ恋ひつつ待たむ眩しき夜明け

  
   









    

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