ほしぞら

福永眞由美 公式ブログ

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こころの散歩道(満月と夜桜)







若き友が わがふるさとに咲く
桜の花の写真を沢山送ってくださった


大東の丘桜ブログ


母が逝った日
ふるさとに 八重桜の花は咲き盛り
母の骨を抱いた私のうへに
花びらは 夢のやうに 降りしきってゐた


母逝って 五年の今年
咲き盛る花を撮りたいと行った ふるさとに
すでに八重桜の花は散り過ぎ 繁りあふ葉が風にゆれてゐた 


農場染井吉野ブログ

そのことを耳にした友が
わがふるさとを 今までに訪れては撮った写真のなかから
桜の花の写真を選んで 送ってくださったのだ
  
(今日の写真は全て 吉川俊介氏撮影)

楠公八重桜ブログ

八重桜の花びらが散りしく この道も


塾舎桜ブログ

この 花も

霊園桜ブログ

この 花も 


 幻想桜ブログ

母と一緒に見た
ふるさとの 桜花



月と桜ブログ



                満月と夜桜

      「あなたは世に出るのが遅くて良かった」と母は言った。
      童話の初出版が決まったときのことだった。父が逝ってから十年が経ち、
      私は四十五歳になってゐた。
      母に報せやうとふるさとの家に急いだ。母の家の裏庭の白い辛夷の花が
      しづかに音もなく散る頃だった。母は涙を流して喜んでくれ、さうしてさう
      言ったのだった。
      その後も人生の辛酸を嘗めながら少しづつ童話や歌集を出し続けた私に、母は
      「思ひ通りにゆかないことが沢山あって良かった」「それがあって、今のあなた
      があるのだから」と言った。
      その母が逝って一年が経ち、母の一年祭を前に入院をした。母の介護で得た
      バセドー病による眼疾治療のためだった。バセドー病が判明したとき、近所の
      内科の医師からは「お母さまのことも、仕事も、全て放り出しなさい」と言は
      れた。それでも「さういふ訳には参りません」と、母の介護も仕事もやりぬいて
      しまった結果だから無理もなかった。
      母が逝ってから、ますますひどくなってゆく眼の状態に、甲状腺疾患専門病院を
      初めて訪ね、その紹介でバセドー病眼疾治療専門の眼科病院に二週間の入院が
      決ったのだった。
      無理をし過ぎてしまったけれど、母の介護の年月で得たものは計り知れないほど
      大きく、母を無事に父のところへ送った今、やっと自分のことを労ってあげる時
      がきた。この程度で助けていただいたことも含めて、何と有難いことだらう。
      まだすこやかな頃の母が私の入院を知ったら、何と言ふだらうか。
      「思ひ通りにゆかないことがまたひとつあって良かった」「それがきっとあなたを
      深めるのだから」と言ふだらうか。
      母のあの勁さはどこから来てゐたのだらう。若い頃は不思議に思ってゐた。けれど
      父が逝ってからの日々を母の言葉に励まされて、泣きながらとぼとぼと歩いて来た
      私が、今になってやうやくわかってきた。
      かなしみが、流した涙のひと粒ひと粒が魂の根を強く張り、人を深めるのだと、身
      に沁みて思ふやうになったから・・・ そしてそれを成さしめるものは父母から
      いただいた数々の美しい言葉と思ひ出に違ひないと気が付いたから・・・

      母から聴いた父との思ひ出のなかでも、月と桜の胸に沁みるふたつの話がある。
      父が逝く何年か前のことだった。その日は十五夜だったが曇ってゐて、月は見え
      なかった。先に寝んでゐた母を、夜中に父が起こしに来たといふ。
      書斎で勉強をしてゐた父がふと外に目をやると、雲が切れて月が出てゐた。それで
      わざわざ母を起こしに来て、ふたりで月を見てゐたのだといふ。
      桜の思ひ出は父が逝く前の年のことだった。一日書きものをしてゐた父が、夜に
      なって母を書斎に呼んだ。父は庭に面した窓をいっぱいに開け、部屋の電灯を消す
      と、机の上の小さな古いスタンドの灯りだけになった。
      「見てごらん」
      父は言って、スタンドの灯りを庭の闇に向けた。闇のなかに満開の山桜の花が白く
      浮かびあがり、いくひらの花びらが舞って、まるで夢のやうな情景だったといふ。
      最晩年の父とふたりで黙ってながめてゐた十五夜の月と夜桜のことを、母は繰り
      返し繰り返し私に話してくれたから、それはまるで私自身の思ひ出であるかのやう
      に、今も美しく私の胸にひろがるのである。


          皓々と照る満月のしみ入りぬ明日入院を控へたる目に

          
          父母の祈りに生きむふつふつと夜の更け病室にひとり思ふも


          息つめて見あぐる退院の今日の空白き桜花(はな)びらひかりつつ舞ふ



                                 (「光の泉」平成二十一年八月号掲載)

     






   
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